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訃報 大関北天佑
2006-06-24 Sat 12:19
元大関北天佑の二十山親方が昨日お亡くなりになりました。
夏場所前でしたっけ?春場所中でしたっけ?
急に倒れたと聞いてから心配はしてたんですけど、
まさかこんなに早く逝かれるとは…

初めて相撲を見た頃から北天佑は大関でしたが、
そのせいもあってか、個人的には非常に印象に深い力士の1人です。

なんつっても北天佑っていうシコ名がまずカッコイイですね。
絶対に大物にしかつけられない名前。

んでもって、この人には常にバケモン伝がありましたね。
ボクはこの手の話が好きで、たゆまぬ努力で強さを獲得した
浪花節的な人よりも、プロレスで言えば鶴田とかアンドレとか
ああいうナチュラルにスゴイ人が、より好きだったりするんですが、

小4で50キロの米俵を軽々担いで歩いていたとか、
リンゴを潰せる握力とか、とにかく北天佑のあの均整の取れた
カラダつきはいろいろと夢を持たせてくれました。

今で言うと把瑠都を見るワクワク感というか。
ポテンシャルだけで言うと貴花田より期待させたかもしれません。

相撲ぶりはよく言えば豪快。悪く言えば雑というか淡泊というか。

上手を取ってからの投げや吊りは豪快そのもの。
今で言うと魁皇とタイプ的に被る部分がありましたが
(素質のワリに性格の優しさがたたって伸びないとか)
北天佑には相手を睨み付けるような気迫がありましたね。
対大関戦で見せる北天のにらみ合いはけっこう好きでした。

ただ、それは土俵上の話であって、
魁皇と違ってあまり土俵人生そのものには執着がなかったようで、
30になるかならないかくらいで、カド番でもないのに
引退してしまいました。

もうちょっと続けていれば、若貴曙との対戦も
あっただけに見てみたかったのですが。
昭和62年春の小錦戦でヒザを痛めてからは、
クンロク街道まっしぐらでしたからねぇ。
千秋楽に朝潮に負けてあげる優しさも含め、忘れられません。


引退後、花相撲で朝潮とのOB戦があったときの
二十山親方のカラダつきを今でも忘れません。
すっかり萎んでしまった当時の若松親方に対し、
現役時代とほとんど変わらない筋肉質の親方。

年齢差があることは考慮に入れたとしても…
ああ、これがポテンシャルの差なんだ…
とまざまざと実感させられたのを覚えています。

ボクが朝青龍を褒めるときの決まり文句として、
「朝青龍ほどの気迫があれば、もっと強くなれた人を
たくさん見てきた。だから朝青龍の凄さをもっと認めるべき」

ということをよく書くのですが、ここで言うもっと強くなれた人の
筆頭で頭をよぎるのが、何を隠そうこの北天佑でした。

皆それをわかっているから貴ノ花と違って
名大関とあまり言われなかったりするんでしょうけど、
まあ、それでも単純に考えて大関44場所っていうのは
それはそれでスゴイですからね。

でも大関在位が長い人は、人生においては短命だなぁ…
親方としては正直あまり印象がなかったのですが、
残された二十山部屋の力士には北の湖部屋で
ぜひとも頑張ってほしいです。
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