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プロレスの歩き方③~総合格闘技が来る!~ (2005/02/01 01:03)
2005-10-26 Wed 16:10
UWFブームが呼び水となって、93年には第一回K-1が開かれ、話題となりました。
同年、アメリカでは総合格闘技の老舗、UFC第一回が開かれています。


当初は、ストリートファイト、もしくはケンカNo.1決定戦という雰囲気がありました。
ボクも含め、そのようななんでもアリのルールとなれば、
誰もが殴り合い、蹴り合いの壮絶な勝負が繰り広げられ、
野獣のように遠慮無く打撃を打ち込めるようなヤツが優勝するのでは?と思っていたでしょう。


ところが、その大会では格闘技ファンの予想を超えた、ある意味でより壮絶な結末が待っていました。
ご存じの方も多いと思いますが、この大会の優勝者は、ホイス・グレイシーです。


ホイスは打撃戦には一切つきあわず、タックルからグラウンドに持ち込み、あっという間に猛者どもを締め落としていきました。


これ以上にないピリピリとした雰囲気の中で、1人だけ詰め将棋をしているような余裕すら感じる雰囲気と、はじめからグラウンドで絞め技狙いという試合展開。
さらにホイスがわずか80キロ台であったこと、すべてが衝撃的でした。


恥ずかしながら、ボクなんかは、「ええ?だって105キロもないようなヤツが勝てるの?」
と本気で思ったモノです。ちなみに105キロ以上というのは、プロレスのヘビー級の体重です。
ヘビー級の体重がない人がトップになれることが本当に驚きだったのです。


さらに、優勝したホイスの発言がすでに口あんぐりのファンに追い打ちをかけます。


「私の兄、ヒクソンは私の100倍強い」


俄然ヒクソンに対する注目度があがり、なんやかんやがあって、ヒクソンと高田の対戦が実現。
それが、PRIDEの起源です。


はしょりますが、高田はヒクソンにいいところなく敗れます。しかも、UWF時代から高田自身の代名詞としてフィニッシュホールドにしていた、腕ひしぎ逆十字固めで。


あきらめの悪い高田は、のちにヒクソンと再戦しますが、またも腕ひしぎ逆十字で敗れてしまいます。ヒクソンと言えば「400戦無敗男」と呼ばれていましたし、このくらいのときには本当にグレイシー柔術の前には誰も勝ち目がないんじゃないかと、絶望感すらあったように思います。


日本格闘技界が、まさにグレイシーによって侵略されんとしたそのとき、希望の光が見えてきました。それも、ファンを落ち込ませていたプロレス界から現れたのです。


まぁ、このへんくらいのことはほとんどの方は知ってるとは思いますが、このくらいの時期からボクの現在のプロレス観ができてきたかなぁと思ってます。


引っ張ってますが、キリがいいので今日はこのへんで。
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